おわりに

鍼灸マッサージの役割:共生からの考察

まとめ・結論

マッサージ業をめぐる視覚障害者と晴眼者の軋轢が、介護予防を通して深刻化する根には、慈悲の欠如があると考察します。人間として対等な慈悲は、社会参加を是とする介護予防だけでなく、鍼灸マッサージにおける視覚障害者と晴眼者にも大きな課題となります。介護予防として、増加する虚弱高齢者への対応に責任ある活躍を成すためには、仏教の慈悲を道標として鍼灸マッサージのなかに取り戻すべきと思量されます。

仏教の慈悲は難解ですが、武士道の仁と観念は類似しています。また、仏教の慈悲からみて武士道の仁には、共生という人権意識が欠如していますが、自他共栄によって補完されるでしょう。自他共栄により補完された武士道の仁には、鍼灸マッサージが仏教の慈悲を取り戻すための学びの入り口になることが期待されます。

鍼灸マッサージ師である視覚障害者と晴眼者が、介護予防に寄与するためには、垣根を越えて一致協力していく必要があります。鍼灸マッサージに仏教の慈悲を取り戻すことで、自他の垣根を越えて共生の絆を結ぶことができると思われます。慈悲を鎹とした共生の絆こそ、介護予防という貢献の機会を得て、鍼灸マッサージが飛躍していくための鍵なのかもしれません。


今後の課題として

仏教とは、仏になるための教えです。もしも自力で仏になれるなら、目標である仏の背中を尊敬しても、正面に向かって手を合わせる必要はありません。仏像が衆生に向かって鎮座するのは、努力努力の果ての最後には、仏の慈悲にすがり、ゆだねる以外に救われないことを暗示しているのでしょう。私見には、その弱い人間への考究がないところに弱点があります。

神仏への信仰が薄れた現代は、他力という、すがる・ゆだねることへの解放が、依存だと否定されかねません。問題解決に自力のみが残された結果として、生涯にわたり努めて発達・向上することが強調されるのでしょう。超高齢社会を迎えるなか、生涯発達の理想が謳われます。けれども、死の瞬間まで自らの進歩を求める学術的な風潮には、いささかの無理と息苦しさを感じます。

死とともに、あらゆる事物を失ってゆく人間に求められる“発達”とは、自分のなかに存在するものなのでしょうか。まさか生涯発達という科学が、不滅の霊魂なる不可思議を必要とはなさるまい。諸行無常のなか生涯をかけて、何が発達するのか明示されるべきです。今後は、介護予防における鍼灸マッサージの役割について、他力の功徳も考慮にいれながら、発達と統合教育をキーワードに研究を進めていきたいと考えています。

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