自他を利する慈悲の働き

鍼灸マッサージの役割:共生からの考察

喪失体験の果てに見出された価値観

仏教を特徴づける諸行無常は、平家物語により広く知られています。「一切万物は生滅流転して止めることができない」という世の無常から、はかなく消えていく「春の夜の夢」や「風の前の塵」のような事柄に焦がれても、むなしいことを諭しています(平家物語)。この世の無常として、「老いぼれた人を見て、また病んだ人を見て、また意識作用の消え失せた死人を見て、思慮ある人は家の絆を捨て去った」(感興のことば)。仏教開祖の釈迦は、老病死の苦しみから脱しようと、「死を賭した命がけの苦行」を6年間続けたが、「疲労困憊と苦痛が加わるばかりで、心の平安はついに得られなかった」ので、「苦行を放棄することにした」(水野,1971)。

苦行を捨てたとは、苦行に抱いてきた唯一無二の希望すら失ったといえます。けれども釈迦は、全てを喪失したわけではありません。中村(1992a,p.329-330)は「『七年間慈心を修した』とある詩句」に注目し、慈悲の精神が釈迦の「修行の中心的位置を占めていたこと」を認めています。釈迦は極限の喪失を体験して、なお慈心を修していることから、人々に通い合う慈しみの心は、どのような加齢変化や死を前にしても、決して失われることがない人間としての価値であると推し量られます。

「一般に仏教は慈悲の教えであると考えられている」(中村,1992a,p.329)。釈迦は「菩提樹のものに静坐して瞑想し、ついにさとりを開いて、ブッダすなわち覚者となった」(中村,1992a,p.329)。その釈迦は回想として「最上の苦行者であった」と修行僧たちに語っています(中村,1992a,p.333)。苦行の末、無常なる事物への執着を全て捨て去った果てに、不滅の慈悲を出発点として仏教は誕生したと判読します。


定式化できない慈悲を実践すること

無常の世における苦痛に満ちた老いの喪失体験は、上田(1997)が指摘する「社会の支配的な価値観(若さ、生産力、経済力、競争社会での出世など)」を削ぎ落とし、人間の芯となる慈悲を明らかにするのかもしれません。人間に宿る慈悲は、無量の徳として最高の英知であり、全てをゼロにした人間の原点でもあるでしょう。ただし各人が、それぞれに必要とする慈悲は同じではなく、しかも変化して固定された実体はありません。

釈迦は「自分のさとりの内容を定式化して説くことを欲せず、機縁に応じ、相手に応じて異なった説きかたをした」から、「仏教そのものには特定の教義というものがない」といいます(中村,1992a,p.417)。それは仏教が、「現実の人間をあるがままに見て、…人間の理法(dharma)を体得しようとする…実践哲学」として、「具体的な生きた人間に即して展開する」教えだからといわれます(中村,1992a,p.418)。中村(1992b,p.190-191)は、釈迦の最後の教えである「自らにたよれ。法にたよれ」について、「事にあたって最終的な決断を下すのは、自分である」が、その「自分の決定は、人間としての理法・道理にもとづくものでなければならない」と解釈しています。慈悲もまた、人間としての理法・道理を探りながら、自らの責任で自らが定めて実践していかなければならない各々の課題だといえます。

自分が実践すべき慈悲は定かでないが、他人が必要としている慈悲は見当がつくかもしれません。小林(1995)は、障害をもつ「児童生徒を通して、人間社会の矛盾、苦悩、醜悪、差別などをいつも目の前につきつけられている思いがする」というが、「そうした児童生徒を通して…人間の社会は本来どんなものでなければならないかを考えてみることができる」とも述べています。自己の利は「一方の犠牲において他方が利益を得る」ものではなく、「他人と協力することによってますます実現される」(中村,2012)。伴走者として他者の利を慮り、その人が最も人間らしく生きられるよう最大限に支援していくことは、自らを人間として正しい行いへと導く果報になるのではないでしょうか。


老年の新しい価値観として、慈悲は相応しい

自他を利する慈悲は、老いを受容して前向きに生きることが許される社会の輪をつくる人間愛と思われます。釈迦は死期を悟る最後の旅にて、「わが齢は八十となった。譬えば古ぼけた車が革紐の助けによってやっと動いて行くように、恐らくわたしの身体も革紐の助けによってもっているようなものだ」と語りながら、弟子のアーナンダに幾度となく「楽しい」という感懐の言葉を発しています(ブッダ最後の旅)。これについて中村(1992b,p.200)は、「自分の一生を楽しかったと思って去ってゆくのは」、老病死という苦しみから「人生の味わい深さ、楽しさ」に達した「願わしい心境」だとしています。

一切皆苦を諭す仏教は、個人が宿命としてもつ老病死にまつわる苦しみを受容し、その苦しみを社会に共通する課題として世俗の価値観を転換してきたのかもしれません。そして、前向きに生きる喜びを掲げて、この課題を皆で解決していくことの意味を、あまねく慈悲をもって示す教えと思量されます。慈悲とは、社会の輪をつくる人間愛であり、なおかつ、老いや死を前にしても失われることがない人間としての価値でしょう。社会参加を是とする介護予防において虚弱高齢者には、新しい、より高い価値観を持って前向きに生きることが望まれます。この新しい価値観として、仏教が説く慈悲は真に相応しいものではないでしょうか。


ブッダ最後の旅:中村元訳(1995)ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経(26)岩波書店,p.62,p.88-92.

小林一弘(1995)視覚障害者教育の実際.あずさ書店,p.284.

平家物語:市古貞次校注訳(2006)平家物語1 新編日本古典文学全集45(5)小学館,p.19.

感興のことば:中村元訳(1992)ブッダの真理のことば 感興のことば(2)岩波書店,p.164.

水野弘元(1971)釈尊の生涯(7)春秋社,p.70-73.

中村元(1992a)ゴータマ・ブッダⅠ.春秋社.

中村元(1992b)ゴータマ・ブッダⅡ.春秋社.

中村元(2012)慈悲(4)講談社,p.97-98.

上田敏(1997)リハビリテーションを考える(19)青木書店,p.199.

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