医師の外形が僧形化した

健康長寿を得て社会のなかで闊達に暮らす老人像は、介護予防の理想でしょう。その老人像は、中国古代医学思想のなかに存在します。「孔子、孟子の言行録、あるいは老子、荘子の思想にしても、中国古典には長寿に関する記述はきわめて多く枚挙にいとまがない」(森田,1985,p.564)。「充実した精神のある場合には、肉体的にも健全であり、社会的にも当を得ることができ、長寿する」との「考えは中国古代医学思想の正統派ともいえる人たちの…根本理念であった」(森田,1985,p.562)。この理念を受け継ぎ「古代中国において体系化された鍼灸・按摩療法の治法技術は、奈良時代までに…我が国に伝来していたものと思われる」(和久田,2001)。

健勝な老人像を理想とするだけでは、加齢に伴う様々な衰退・喪失の果てに、失望とあきらめで人生の終末を迎えることになります。失望とあきらめで終わるような理念を一つ掲げて、鍼灸マッサージ療法が長きにわたり継承されるはずがありません。中国より伝来した医学には、健康長寿を理想とする価値観とは別の価値観が存在したのではないでしょうか。そして、この別の価値観は仏教が担ってきたと推測されます。

「仏教伝来後わずか半世紀を出ずして聖徳太子が熱心に仏教を奉じたので、飛鳥時代の医学は仏教と融合して大いなる発展を示した」(石原,1959)。「平安時代に入るとますます仏教精神が医学の面に滲透し」、仏教の「生命観・死生観・疾病観は僧侶の医学指向をもたらし、僧医の活躍や一般大衆の病苦を救うため救療事業も…仏教精神を根底において医療の指導精神にしていた」(山田,1980)。「平安中期、末法観の浸透とともに…死の瞬間のあり方が次第に重視され」、心静かに死を迎えるために、「阿弥陀仏に心を集中させることが強調されるようになる」(新村,1995,p.150)。「仏教思想を基本に、死に臨んだ(臨終)人の心得と、看取りの作法(行儀)と、それが行われる場について示した」臨終行儀が、「特に平安時代中頃より浄土系の仏教で重要視され、その後各宗派でも用いられ、江戸期に入ってからは広く庶民にも定着し、現在の我々が行っている看取りや葬送の基本形態になった」(神居ほか,1995)。現在の仏教を背景とするターミナルケア施設として、森田(2010)は長岡西病院ビハーラ病棟に勤務する仏教僧侶の働きを紹介しています。

仏教では、老病死という喪失の苦しみを肯定的に受容することが、自らの内面を変容し、成熟させるための糧になるといいます。新村(1995,p.67)は「病を善知識とする文言は諸書にみられる」とし、天台大師智顗の「悟ること応に病に在るべし」(摩訶止観,巻八上)について、「病のもつマイナスの属性を肯定した上で、それをプラスに転化させる働きを導き出している」と解しています。

「室町期のころより医師の外形に変化が現れ…、剃髪し僧衣を着するものが登場してくる」(新村,1995,p.45)。その理由として、「医師は日常的に病穢・死穢に触れているところから、…賤民への転落に歯止めをかけるとともに、聖なるものに近づき、…病を癒す宗教的な権威をも身につけることができた」からといわれます(新村,1995,p.45-46)。「日本鍼灸独自の刺鍼法『管鍼術』の創始者」であり、「将軍綱吉に当道座最高位の総検校に抜擢され」た杉山和一の肖像画をみても僧形化しています(安藤ほか,2011)。

中国古代医学思想の正統派といえる医師の外形が僧形化したことからみて、治癒を目的とする医療においても、老病死がもつマイナスの属性をプラスに転化させる仏教を必要としていたことが窺われます。健康長寿を得て社会のなかで闊達に暮らす老人像を尊ぶ鍼灸マッサージ療法が、宿命としての老いや死を前にして、失望とあきらめで終わることなく継承されてきたのは、健全な肉体と精神を維持するための治法技術の基底を、仏教を背景とする医学思想が支えてきたからといえるでしょう。


安藤文紀・河内明・吉備登・小林章子・田口敬太(2011)「人物を通してみる日本鍼灸の歴史」について.全日本鍼灸学会雑誌,61(1):p.2-16.

石原明(1959)日本の医学 その流れと発展.至文堂,p.16.

神居文彰・田宮仁・長谷川匡俊・藤腹明子(1995)臨終行儀 日本的ターミナル・ケアの原点(2)北辰堂,p.37.

森田傳一郎(1985)中国古代医学思想の研究.雄山閣出版.

森田敬史(2010)ビハーラ僧の実際.人間福祉学研究,3(1):p.19-30.

新村拓(1995)死と病と看護の社会史(4)法政大学出版局.

和久田哲司(2001)古代中国における鍼灸・手技療法の発祥と発展<特に手技療法と他の治法との関係について>.前田印刷,p.1.

山田重正(1980)典医の歴史.思文閣出版,p.52.