新しい価値観とは何か

介護予防とは、「心身機能の改善や環境調整などを通じて、個々の高齢者の生活機能(活動レベル)や参加(役割レベル)の向上をもたらし、それによって一人ひとりの生きがいや自己実現のための取り組みを支援して、生活の質(QOL)の向上を目指すもの」(厚生労働省,2012,p.1)です。このように介護予防は、単に健康寿命を延伸するだけでなく、健康を通した社会参加にこそ本意があるといえます。どのような虚弱化した高齢者でも区別なく、望む人生を自由に平等に生きることができる社会を、高齢者と共につくっていくことが真の目的なのかもしれません。

介護保険法 第1章第4条は、国民自らの努力及び義務として「その有する能力の維持向上に努めるものとする」と規定しています(厚生法規研究会,1953)。「介護予防は終わりのない取り組みであり、それは対象者のセルフケアとして習慣化され、継続される必要がある」(厚生労働省,2012,p.23)。そのためには、「高齢者が自ら進んで事業や介護予防の活動に継続的に参加し、自分らしい生活を維持できるようにする」ための「地域づくりが重要になってくる」(厚生労働省,2012,p.4)というのです。

介護予防は「一人でも多くの高齢者の参加を促す〝まちづくり〟という視点で取り組むことが大事」で、「専門職や行政が、高齢者のためにいかに黒子に徹することができるか」が重要になります(大渕・小島,2005)。黒子に徹するとは、虚弱な高齢者であっても自らの問題を自らが解決できる力があると信じ、その自力を支援することといえます。けれども、自らの内にある老いの衰退・喪失を嘆く心を転換しなければ、積極的に介護予防への参加を継続し、自主的に健康維持・増進に努めることはできないでしょう。

老いて家族や社会に迷惑をかけたくないという願いには、老いぼれは迷惑という内なる偏見が含まれる場合があります。上田(1997)は「『自分はダメな人間になってしまった。家族の足手まといになるばかりで、何の役にも立たない、価値のない人間になってしまった』…という絶望感に心が蝕まれ」るのは「内面の反映(とり入れ)である」といいます。「元気なとき…社会の支配的な価値観(若さ、生産力、経済力、競争社会での出世など)になんらの疑問をもたず、そのまま受け入れて」きた「価値体系のなかでの脱落者になったことを発見してはじめて驚きあわてている」のだと指摘します。そのうえで「問題は結局人間としての価値、生きることの価値をどこに求めるかに帰着する。それは結局は、社会の支配的な価値体系からの脱却、新しい、より高い価値体系への登高というところに行きつく他はない」としています。

中嶌と小田(2001)は、退職後の老年には「もはや成人の主要な社会的役割の遂行は期待されなくなり、代わりに『役割なき役割』が与えられることになる」といいます。加齢により身体の各機能が衰退するなか、上田(1997)が「社会の支配的な価値観」だと指摘する「若さ、生産力、経済力、競争社会での出世など」、俗世間にはびこる価値観が削ぎ落とされていきます。そのなかで、健康は勝ち・不健康は負けという世俗の価値観に執着して脱却できず、介護予防を老いた弱者への施しの支援と誤解すれば、その哀れみのサービスを積極的に利用したいと願う高齢者はいるはずがありません。

加齢変化は、人間としての価値を下げるものではありません。虚弱高齢者には、これまで抱いてきた世俗の価値観を転換し、新しい、より高い価値観を持って前向きに生きることが望まれます。社会参加を是とする介護予防は、その新しい価値観が何かを明確にすべきです。価値観は各人の問題として、曖昧にすることは許されないのではないでしょうか。


厚生法規研究会(1953)厚生法規総覧34,介護保険法,第1章第4条.中央法規出版,p.3.

厚生労働省(2012)介護予防マニュアル改訂版.http://www.mhlw.go.jp/topics/2009/05/dl/tp0501-1_1.pdf,(参照日2015年8月2日).

中嶌康之・小田利勝(2001)サクセスフル・エイジングのもう一つの観点 ジェロトランセンデンス理論の考察.神戸大学発達科学部研究紀要,8(2):p.303-317.

大渕修一・小島基永(2005)介護予防のまちづくり.鈴木隆雄・大渕修一監,(続)介護予防完全マニュアル(2)東京都高齢者研究・福祉振興財団,p.3.

上田敏(1997)リハビリテーションを考える(19)青木書店,p.199.