施術者として今、思うこと

“分かる”ということは、難しいものです。

喫煙や過量の飲酒、偏食、運動不足などは、健康にとって有害であることを誰もが知っています。

しかし、それを戒めて生活を正すことは、なかなか出来るものではありません。私も、その一人でございます。

大学の恩師は、植木等の歌の節になぞらえて、「分かっちゃいるけどやめられない」というのは、実は「分かっちゃいない」のだと述べておられます(森章司,1990)。

なるほど、あの能天気な歌詞の裏には、このような深い意味が隠されていたとは・・・さすがは印度哲学・・・と感銘を受けるしだいです。

鈴木整形外科.愛知県豊橋市東田町井原48-3.市内電車 赤岩口徒歩2分.Tel 0532-61-3201

この頃、カイロプラクティックをご指導いただいた整形外科医師 鈴木祐視先生の言葉が、妙に懐かしく思い出されます。

ベッドに横になって治療を受けているだけでは、よくならない

そう言っては、老若男女を問わずホームエクササイズ・運動を推奨しておられました(院内では、ほぼ強制的に)。

要介護リスクの高まった虚弱高齢者が急増している現状からみて、「筋力の維持・向上に努めよ」という先生の指摘には先見性を感じます。

ただし個性の強い先生でしたから、その語り口も鮮烈でした。

たとえば、ある腰痛の患者さんが、次のような質問をしました。

どうして腰が痛くなったのでしょうか

すると、先生はこのように答えられました。

日頃の心がけが悪いからです

今考えると、たいへんに意味深い言葉だと思います。しかし、これを聞いた若かりし当時は、のけぞって驚いたことを記憶しています。

ところで、 私は日頃の臨床のなか、ベッドサイドをウロウロするだけで運動不足の毎日を過ごしています。そして、炭水化物大好き~という食生活・・・このような私は、患者さんの日常生活にアドバイスできるはずもありません。

先生の言葉が懐かしく思うのは、その言葉が今でも、施術者としてあるまじき不養生な自分に大喝一声をくらわしているからでしょう。

人間には、自然に病気を癒す力が備わっています。

その力を尊ぶ自然医学が拠り所とする思想・哲学は、自然の摂理に反する悪い生活・生き方が病気をつくると戒めます。

自然を手本として、自然治癒力にゆだね、自然の摂理を医療に応用したのが東洋医学であり、カイロプラクティックも同様と考えます。

しかし老病死も、また自然の摂理です。

老いには、努力により否定できる老いと、宿命として否定できない老いがあります。

加齢変化を“悪行”の結果と否定するだけでは、人生の終末を、あきらめと失望で迎えることになります。

高齢化により増加する病気や障害を、単に拒絶するだけの薄っぺらな施術者になってはいけないと思案するも、難儀します。

手技療法をご指導いただいた整形外科医師 鈴木祐視先生の教えを胸に、「終末まで すこやかを めざす医療」であればこそ、加齢変化に抗する医療技術とともに、

自然な老いの衰退・喪失を受容して、前向きに生きるための医療哲学を求めてやみません。

鍼灸マッサージ師という立場から、介護予防を通して、この哲学を探求しています。


森章司(1990)仏教思想の発見-仏教的ものの見方-.北辰堂.p.50.

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